Five Golden Rings
高くそびえ立つゲートを抜けると、スズカケの並木道がパテルの館へと導く。冬枯れの枝は白い発光ダイオードライトで彩られていた。夜道に輝く涼やかな光は、さながら凍てつく氷の粒のようだ。
正面に、雄壮なパテルの館が、まばゆいライトで浮かび上がった姿を現した。屋根や壁面には色とりどりのライトが瞬いている。
玄関前にサンタ・クロースのそりが降り立っていた。そりに繋がれたトナカイは八匹の犬だ。上半身は毛皮で覆われているが、裸の尻を突き出して地面に這っている。そりの上でプレゼントの仕分けを手伝う小人は、トルソーに人形の手足のついた服を着せたらしい。緑の上着に茶色の革のズボンを身につけているが、大きなリボンをつけた小箱をつかんだ手が微動だにしない。大きな茶色の瞳が切なげに闇を見つめていた。煙突に足をかけたままのサンタクロースも人形ではなくトルソーなのだろう。銀髪のかつらの陰から赤い髪が覗いていた。
屋敷の中は音と光に溢れていた。
夜も更け、宴もたけなわだった。タキシード姿のパトリキたちが、シャンパンに頬を上気させて、話に花を咲かせていた。
ホールの中央には、豪奢に飾られたクリスマスツリーがあった。根元に、大きな赤いリボンが結ばれたケージが置かれている。ケージの中では、ブロンドの巻き毛の犬が、金の鎖で拘束されてがたがたと震えていた。プレゼント用の仔犬だ。パーティーの余興の賞品にちがいない。
階段下の両脇の支柱には、それぞれ、美しいアラブ犬が縛り付けられていた。肛門には太いバイブが蠢いており、室内に鳴り響くクリスマスソングに混じって、彼らの喘ぎ声が微かに聞こえてきた。
大広間に据えられたいくつもの大テーブルには、オードブルや七面鳥やフルーツや焼き菓子などの皿が所せましと並べてあった。料理が盛りつけられた皿はすべて犬だ。テーブルの周りをシャンパンを載せた荷車を引く犬たちが歩き回っている。赤ワインの小瓶を尻にはめられた犬たちもいた。
わたしはパーティ会場をくまなく回り、犬たちに目を走らせた。バスルームに駆け込んで、2匹の犬が花瓶を務めているのも確かめた。しかし、肝心なものが見つからない。
いったい全体、フィルはどこにいるのだろう。
その招待状がヴィラのわたしの館に届けられたのは、ひと月ほど前のことだった。数通のクリスマスカードに混じって、パテルの紋章が刻印された赤い封蝋を見つけたとき、わたしは言い知れぬ不安に襲われた。
悪い予感は当たっていた。カードの内容は、パテルの館でクリスマスに開かれるパーティの招待だけではなかった。あわせて、フィルをパーティの間、貸し出してほしいと依頼されていた。わたしがパーティに出席できない場合は、フィルだけでも構わないとまで追記してある。依頼ではない。要請、もしくは命令だ。わたしはパテルからフィルを買い取ったとはいえ、2度の逃亡歴を大目に見てきたパテルの執着心には計り知れないものがあった。
暖炉の前でまどろんでいたフィルを呼び寄せ、招待状を見せた。フィルは一瞬の逡巡の後に、口を開いた。
「分かりました、ご主人様」
「いや、やはりパテルに断るよ。わたしはクリスマスにはヴィラに来られないんだ」
「ぼくだけでも来るようにと書いてあるではありませんか。大丈夫です。ご主人様がヴィラにいらっしゃらないなら、賑やかなパーティに連れ出してもらうのも悪くはない。一晩、パテルの館で遊んできますよ。ご主人様はごゆっくりお仕事を片づけて下さい」
そう言ってフィルは、安楽椅子に腰掛けたわたしの膝にブロンドの頭をこすりつけた。どうぞお心やすく楽しいクリスマスを、といった声がわずかに掠れた。ヘイゼルの瞳によぎった憂いの陰は瞬時にかき消え、フィルはおむつの尻を振って陽気に微笑んでみせた。
わたしの仕事にクリスマスも新年もない。寧ろ一年でも最も忙しい時期のひとつだ。まして今年は厄介な仕事が11月末に舞い込んだ。その招待状が届けられた日以来、忙しさに追われて、ヴィラに1日も足を運ぶことができないまま、パーティの当日を迎えてしまった。
今年のクリスマスはフィルと過ごそうと、前から心に決めていた。
家族や友人からの誘いは、一切断った。目の前の仕事を片っ端から片づけた。しかし突発的に何が起こるか分からない仕事に従事している都合上、ぬか喜びでフィルを落胆させたくなくて黙っていたのだ。
わたしの懸念は現実となった。突然、顧客の一人が理不尽なクレームを突きつけてきたのだ。事態を収拾するために、わたしは出発間際に休日出勤を強いられた。秒刻みで脳を酷使して無我夢中で取り組んだ末、半ば諦めかけた頃になって、顧客はあっさりとクレームを取り下げた。スカマーク・エアラインズの最終便でヴィラ・カプリにたどり着いたのは、もう今宵も残り1時間半というときだった。
急いで海沿いの自分の館に向かったが、そこにフィルの姿はなかった。家令控え室に電話すると、フミウスが疲れ切った声で、朝、ヴィラのスタッフがフィルをケージに入れてパテルの館に運搬したことを教えてくれた。その場に居合わせなかった自分のふがいなさを呪ったが、悔やんでもしかたがない。わたしは礼もそこそこに電話を切って、パテルの館に車を走らせた。
一刻も早くフィルを見つけ出して、自由にする。パテルの正体は伏せられているが、執事に金額を入れない小切手を渡して交渉すれば、何とかなるだろう。
しかし、いったい全体、フィルはどこにいるというのだ。
わたしが途方に暮れて頭を掻きむしったとき、頭上で微かに鐘の鳴る音がした。見上げると、高い天井に設置されたフックに大きなクリスマスリースが吊り下げられていた。そのリースの陰に、蔓草で四肢を括り付けられたブロンドの細身の犬の姿が見えた。
わたしは大階段を一息に駈けのぼり、回廊の手すりから身を乗り出した。
フィルだった。
いつから吊られていたのだろう。苦しげに形の良い眉を寄せている。ブロンドの頭がぐったりと俯いていた。乳首のピアスにはヒイラギの葉のついた金色の鐘が揺れている。いつも慎ましやかなアヌスには、無惨にも大きなアヌスストッパーが押し込まれていた。
催淫剤を与えられたらしい。淡い色のペニスは根元を金の輪で縛められていたが、腹につくほどにそそり立っていた。そのペニスに結わえられた小枝の意味に気付いたとき、わたしは思わずうめいた。――ヤドリギだ。
クリスマスにヤドリギの下にいる人にはキスをしても構わない――今宵のパーティで幾人のパトリキが、幾人の犬がキスを交わしたというのだ。わたしのフィルが吊られている下で。
「フィル」
そっと呼びかけたわたしの声に反応して、フィルのまぶたがぴくりと動き、ブロンドの長い睫毛がそよいだ。顔を上げてわたしを見つめたフィルの口は、枝を噛まされていた。枝に金色で刻印されたパテルの紋章と文字があった。「メリー・クリスマス」。わたしはくちびるを噛んだ。
「フィル、大丈夫か。今すぐ降ろしてやるからな」
わたしの言葉にフィルが弱々しい声を漏らした。
「アイオウウ。オウ、ウオイエ、オアイアウ」
不自由な口を動かして話すフィルの言葉に、わたしは懸命に耳を傾けた。フィルは再び繰り返した。
――大丈夫、もう、少しで、終わります――
このまま耐えるつもりなのか。健気な姿に胸がえぐられた。そうはいっても、まだ12時前だ。パーティは夜明けまで続くことだろう。わたしは階段下に現れた館の使用人に声をかけた。
「おい、手を貸してくれ」
突然鳴り響いたファンファーレにわたしの声はかき消された。華やかな金管楽器の音に呼応して、館じゅうに散らばっていたパトリキや犬が大階段の下のホールに集まってきた。
大柄な金髪の男が司会を始めた。以前広場で呼び売りをやらされているのを見かけたことがある。陽気なアクトーレスだ。
「皆さま、お待たせしました。パテル主催のパーティ恒例、大抽選会のお時間ですよ。皆さま、お手元に招待状を用意なさっていますか。ビンゴカードが同封されていたでしょう?なくした、なんて方はいませんね?一番にあがれなくても、がっかりしてカードを破ったりしちゃいけませんよ。豪華賞品を多数取りそろえていますからね。
最初のゲームの賞品は、ツリーの下の仔犬だ。今朝ヴィラに届いたばかり。正真正銘のヴァージン。クリスマス生まれの仔犬ですよ!」
拍手が起こった。
「他にどんな賞品があるかって?それは内緒。順番に発表していきますからね。んー、でも、特別に最後のゲームの賞品を教えちゃいましょう。秘密の仔犬指名権、てのがあるんですよ。今夜だけ、ヴィラにいる人間なら誰でも犬に指名して調教できちゃうって権利です」
場内に歓声が沸き上がった。
「お望みの犬を手に入れるチャンス、priceless!飼い犬でも、パトリキでもいいですよ。アクトーレスでも構いません。おれを指名するつもりですか?参ったな」
司会のアクトーレスは照れたように頭を掻いてみせた。
「はい。今夜限りはスタッフの誰でもOKです。家令?まったく問題ありません!指名された人には、パテルから多額の賞金が支払われますからね。金欠の奴らは泣いて喜ぶんじゃないですか。え、外科部長?チャレンジャーだな」
ひとしきり笑い声が治まるのを待って、アクトーレスが壁際の使用人に合図した。フィルのリースを吊す鎖がゆっくりと下に降りていって、床上から5フィートほどの高さで止まった。
慌てて階段を下りてフィルに駆け寄ろうとしたとき、招待客のひとりに腕を掴まれた。
「落ち着けよ。今飛び出してどうなる」
顔見知りのパトリキだった。知識が豊富で、医学の素養もあり、調教時にも冷静な判断を下すことのできる人物だった。
「ただの今宵限りの余興だよ。フィルも大丈夫、と言っていたじゃないか」
聞かれていたのか。わたしは、鷹揚に笑う友人の理知的な横顔を見つめた。
「これから何が始まるか、知っているのか」
「ああ。10分ほど前にフィルはパスタを食べさせられていた。スカマーク・エアラインズの新メニューらしい。最初のくじの当選番号は麺に仕込まれたシリコンの先についているそうだ」
新メニュー?そう言えば機内雑誌で広告を見たような気がする。
「それで、くじのあと、フィルはどうなるんだ?」
「ビンゴの何番目かの賞品になるんじゃないか。この会場にいる犬はみんなそうだからな。
慌てるなよ。今夜だけのことさ。知らなかったのか。今朝、犬を運搬する前に家令から説明されただろう?」
「ヴィラにはついさっき着いたばかりなんだ」
フィルにはどこまで説明されたのだろう。いずれにせよ、抗うことはできなかったろうが。
「自分の番号は分かっているか?招待状の封蝋に刻印されているんだよ」
わたしはタキシードの胸の隠しから封筒を取り出した。
「26だ」
「ぼくは5だ。ブレイク・ア・レッグ! 」
司会のアクトーレスは、招待客たちとともにカウントダウンを始めていた。時計の針が十二時を指したときに、最初のゲームが開始される。つまり、フィルのアナルストッパーにつけられた銀の鎖が引っ張られるのだ。
始めは、隣の客とにやにやと言葉を交わしている者もいたが、今は皆、興奮気味に声を揃えて時を数えていた。その狂騒のただ中で、ひとりじっと目を閉じて堪え忍ぶフィルの姿は、殉教者のようにすら見えた。
カウントダウンが10を切ったとき、フィルは全身を震わせながら顔を上げて、周囲を見回した。わたしとかちりと視線をあわせる。大きく瞠られた瞳が、あたかもエメラルドのように煌めいた。潤んだ瞳は泣いているようにも微笑んでいるようにも見えた。唇が微かに動いている。わたしの耳にはフィルの声に出さない言葉が聞こえた。
――大丈夫、大丈夫。
「3,2,1,メリー・クリスマス!」
一同の唱和とともにアナルストッパーが引き抜かれ、フィルは排泄を許された。尾籠な破裂音が響きわたり、白亜の床に軟便がぼとぼとと落ちていった。汚水が飛びはね、人々は嬌声を上げて後ずさった。糞尿に混じって金銀の不溶性のカプセルが、こぼれ落ちた。肛門からシリコン製の金色のネックレスが長く垂れ下がった。ダナエに降り注ぐゼウスの黄金の雨のようだった。
アクトーレスは懐からピンセットを取り出し、フィルのアヌスに生えるネックレスを引っ張った。
「ん――ああっ、ああああ」
数珠状に連なったシリコンのネックレスが少しずつフィルの腸内から引き出されていく。催淫剤の効果もあって、敏感な粘膜を嬲る凹凸がたまらないらしい。ピンセットが引かれるたびに、フィルは甘い喘ぎ声を発し続けた。
フィルの尻のネックレスが床に届いたとき、アクトーレスは手の動きを止めて、にんまりと招待客たちに微笑んでみせた。フィルのペニスを縛めていた金の輪が外された。
「さあ、クリスマスの仔犬の飼い主の発表だ!」
一気に1フィートほどのシリコンを引き抜いた。
「ああああああああっ――――――」
精液がほとばしり、フィルは歓喜の声を上げながらがくがくと身体を揺らした。胸の鐘がリンリンと鳴り響いた。
固唾を飲んで見守るパトリキたちの前に、アクトーレスは引き抜いたばかりのネックレスの先のオリーブに似せた玉の中から、種を取り出して刻まれた番号を読み上げた。
「26」
落胆を苦笑に紛らわすパトリキたちに混じって、隣りの友人がわたしの肩を叩いてウィンクをしてみせた。
わたしは当たりくじの封筒を握りしめたまま、意識を失ったフィルが揺らすクリスマスリースを見つめていた。
フィルが意識を取り戻したのは、夜明け間近だった。
わたしはフィルを助け下ろし、バスルームでフィルの身体に飛び散った汚泥を洗い落としてやった。すぐさまパテルの館を辞して、海沿いの自分の家に連れ帰った。ベッドの白いシーツの上に乗せたフィルのからだはひどく薄かった。この一月でまた痩せたようだった。ブロンドの髭がうっすらと生えた顎が、心なしか尖って見えた。
「ご主人様」
「おはよう、フィル。気分はどうだ」
「平気です。もう何ともありません」
何ともないわけはない。わたしは容易には本心を明かさない犬の乳首のピアスを軽くつまみ上げた。
「ひっく」
身をすくませたフィルの目を覗き込んでにらんでやった。
「正直に言いなさい」
「ほんとです。少し筋肉痛があるだけ。パテルのお気に入りのアクトーレスたちは優秀ですね」
確かに、長く拘束されていたにも拘わらず、フィルの身体には痣ひとつ残っていなかった。
「それより、賞品の犬はどこにいるんですか。ご主人様が当たったのでしょう?」
「なぜ、おまえがそれを知っているんだ?」
「あのくじは八百長。パテルのお遊びです。番号を選んで食べさせたんですよ。パスタを運んできた黒人の使用人が、『ヴァン・シス(フランス語で26の意)』と呟くのが唇の動きで分かったんです」
わたしはうなり声をあげた。パテルにからかわれたらしい。11月末に降ってわいた厄介な仕事に、出発間際の謎のクレーム。これも、パテルが手を回していたように思えてきた。勘ぐれば、フィルが3度目の逃亡を試みた夜に、開いたままになっていたケージの鍵。あれもパテルが仕組んだことだったのかもしれない。1ヶ月分のストレスが一気に押し寄せてきて、わたしはこめかみを押さえた。
「ご主人様、パテルにもらった犬はどこですか」
フィルが気遣わしげにわたしの顔を覗き込んでいた。
「ああ、犬ならそこにいるよ」
わたしは窓を指さした。窓の向こうに、夜明け間近の海がぼうっと陽光をにじませていた。フィルはヘイゼルの目を細めて、庭を見やった。外はまだ暗く、ガラスが室内の光を反射していた。ベッドから降り立とうとしたフィルの細い肩を掴んで、わたしは言った。
「フィル、ここからでも見えるだろう。ほら、わたしがもらった犬だよ。啼き声をきかせてやろう」
「くぅん」
窓の中のわたしの犬が、身をよじらせて可愛い啼き声をあげた。わたしは左手で犬の乳首のピアスを弄びながら、右手でアヌスの回りをもみほぐした。
パテルにもらった犬――フィルが愉悦に喘いだ。
「ご、ご主人様、どうして」
わたしは、フィルの白い首筋に唇をあてた。
「26番が当たったときに、すぐにクリスマスの仔犬の代わりにおまえがほしい、と招待客たちに提案したんだ。無論、異議を唱える奴はいなかった」
「ぼくは元々ご主人様の犬でしょう。もったいない。どうしてそんなことをしたんです?」
「なぜか分からないのか?おまえが?」
わたしはくすくすと笑った。フィルは首筋まで真っ赤になった。
「それに、これで完全におまえはわたしの犬だよ。2度ももらったんだからな。大勢のパトリキたちが証人だ」
「ありがとうございます、ご主人様」
嬉しそうに抱きついてきたフィルの腕に、わたしは枕元においていた箱を押しつけた。
「礼はこのプレゼントにも言ってもらおう。一眠りしたらトレーニング開始だ」
フィルは急いで包み紙を剥がし、中身を取り出した。
「あ、ありがとう、ございます、ご主人様」
箱の中身を両腕に抱えて、とぎれがちに礼の言葉を口にした。
わたしのクリスマスプレゼントは、白鳥のおまるだった。プレゼントは贈り主も一緒に楽しめるものが一番だ。
「フィル、クリスマスが終わってしまったな。でも年明けまでは休暇だ。一緒に過ごそう」
「大丈夫です、ご主人様。
クリスマスは12日間あるんです。クリスマス・シーズンは始まったばかりですよ」
窓の外に昇る朝日がフィルの金髪をまばゆく照らした。怜悧な美貌が笑み崩れて、天使となった。
「メリー・クリスマス、あなたがいつも神の祝福に包まれていますように」
―――――――――――― 了 ―――――――――――
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